この記事は、id:urashinjukuの送客商人(閉鎖)から転載しています。
テレビと洗脳
ネット社会が形成されて、テレビについて距離を置くようになってからそのテレビプログラムの洗脳性というのは多くの人が物凄くわかってきていると思う。特に思想的に偏った人なんかはそれをよく説いているのだけれど、あながち誤りでもない。
昨日は、数日前に日本テレビが擬似生放送(実は部分録画を生風の演出で中継)したのをNHKニュースが何回も叩いたりしているので、同じテレビの中でも、テレビの「本当でないことがホンモノのように見える技術」についての部分では業界内でもギクシャクとしてはいるのかと推測される。似たようなケースで、遠い昔に、実際にない画像を写し込める技術(野球のバックネットに実際にはない広告を合成する技術)をとある局が公開されていましたが、やっぱりかなり「実態のない映像を実態のように見せる」ことには業界内では抵抗があったのか、採用に至らなかったのを記憶の底から思い出しました。
まあまた書き出しで脱線しているわけだが、テレビは事実を映すものだけではないわけです。
そして、優秀なものだけをCMしているわけではない。小麦アレルギー被害をもたらした茶のしずく石鹸なんか、ちょっと前までものすごい量のCMを投下していましたよね。あれがいい例です。テレビにお金を沢山払って広告することの刷り込みによって「あれ、これ大手だったかな?」とすり替えられてしまうわけですね。
CM洗脳については、普通の人ならCMで見た商品をコンビニやスーパーで買う率とか考えてみるとそれなりの影響は受けているということがわかるはず。
テレビCMで「歌って踊るのが人気らしいですよ」とか(記事初出当時)ウィルコムが言っていたけれど、本当にそうで、歌(の入っているフレーズ)を何回も何回も聞いているうちに商品も一緒に刷り込まれるという特性がCMにはある。
そして、そうやって何回も接触をしていると、購入を検討してしまう。接触率の高さというのが、とても重要で、こんなことは広告畑の人ならよくわかっている話だが、有名人をキャラクターに起用した商品が多いのはやっぱりその商品以前にそのキャラクターとの接触性の高さが購入につながりがちだという理由もあるのだ。
ネットと洗脳
そして、ネットもいまやその刷り込みの例外ではない。ネットが商売にならない頃から電通やら何やらがたくさん投資していたのは、結局ネットを第二のテレビにしようということなのだ。
だから、ネットでも楽天やら、アドワーズやらがターゲティング広告といえば聞こえはいいが、おんなじ広告をイランというほど反復して見せようとするわけだ(それをやってるのは大手代理店ではない場合も多いが)。ネットの場合、ビジュアルに変化がないので「うざい」とすら思ってしまうわけだが。昔はブロガーに記事を書かせるといのが主流だったが、最近は、巧妙にニュース記事として組み込まれるのが流行しているようだ。
例えば昨日流れたコレなんて(※記事消失のためリンク不明)いろんなサイトに載ってるけど、本来は単なるパブリシティのニュースリリースであって、ただそれらしい回答を得る目的でやったリサーチをニュース風に仕上げているだけ。そういうものでも、ネットの受け手のリテラシーも低くなってきているので意外と普通にコンテンツとして消費されている感があり、なんだかなと思う。
各ニュースサイトにも巧妙にお金が動いている記事が結構な率で掲載されてきているのは、有償で記事書いてニュースサイトに載せてやるよサービス類が密かに隆盛しているのでもわかる(リンクは貼らないが)。
刷り込みはメディアを問わず効果がある
やりすぎた刷り込みは逆効果だが、普通に反復しての閲覧というのは、最初は気づきから入るにせよ、商品の購入動機を生むためにはほんとうに大事で、もしあなたの商品があんまり売れていないのであれば、購入対象者に対する接触率が低いのかもしれないことを疑ってみるといい。
パブでも、ポスターでも、自社広告でも、イベントでも、リリースでも、それこそネットでもいいから、とにかく購入対象者に訴え続けること。馴染みのないものを人は警戒して買わない。馴染みになってしまえばこっちのものなのよ。
山手線の広告は、デジタル時代になっても唯一紙で人が動く(だから、全部山手線広告が動画になる話があったけど、採用されなかった)
昔やったことで比較的人を動かす効果があったのは山手線の広告(ただし中吊りのみ。ドア脇はダメ!)かなあ。あれは相当の人が目にするので。壮絶に高いけど、効果を考えると安いともいえる。短期しか効かないけど、その数日間のPOSを上げる効果は十分にあった。ネット商売の話になってないけど。
山手線は広告効果がなぜかやはり紙の状態で高いことがあって、山手線全部を動画広告にして、紙の中づりを廃止する話があったことがあるのだが、いろんな抵抗があり、結局廃案になっている。